2012年3月5日月曜日

冬の小鳥

今日韓国映画って言っていいのか?韓仏合作らしいし監督はフランス育ちらしいんで、でも韓国が舞台の映画「冬の小鳥」っていうの観て。「感動」っていうか「これはいいな!」って思って。それでネットで感想読んでたら「俺も書こう」って気になって。

「息もできない」っていう作品観てから韓国映画が好きになって何本か観たのだけど、なんで今韓国映画に惹かれてるのかな?っていう整理含めて書きたいと思います。

まあ人並みに韓国発のカルチャーに偏見はあったりしたのですが。「少女時代」とか「冬ソナ」とかほとんどイメージでしか知らないし、映画で言えば観たことあるのって「JSA」と「私の頭の中の消しゴム」位だったりいわゆる「韓流」?メロメロのメロドラマなんだろ、ていう。「作品」てより「商品」なんじゃね?的な勝手な思い込み。

駄目だよねイメージだけで判断するのって何にしても。本当に僕が観ている範囲での「韓国映画」は昨今の日本映画よりよっぽど「作品性」を感じるもの。で、この「作品性」っていうのが何なのか?っていうのが韓国映画の魅力を解くキーワードになるかも、って今思った。

「作品性」って言うのは僕なりに勝手に定義させてもらうと「最終的に作品って形に収まった”それ”が作家の内的必然性に基づきまくっちゃってる」っていうことなのかな?って。よく分からないんだけどね。「母なる証明」で最初のシーンで母親が原っぱみたいなトコで謎の踊りを踊ってるんだけどあれ何?とかさ。「シークレットサンシャイン」て最後主人公が庭で髪切ってカメラが人物から横に向いてなんか庭の片隅の洗剤のボトルが転がってるようなトコでそれが映って終わり、みたいな。「へ?」ていう。

でもまあ意味とかは分からないし、それを何かしらにこじつける気にもならないのですが、それが映画作家の何かしらの「内的必然性」に基づいてるんだろうな、それは信頼できそうだな、っていう感触がちゃんとある。なんかこの辺の「安定感」っていうかですね。どうしても日本映画との比較になってしまうのがアレなんだけど日本でどうかして意味わからないシーンは何かの引用的な事だったり、好事家向けの目配せだったり「ああキッチュなのね。そういうキッチュ狙ったわけねはいはい」的に冷める事が多いんだよね。

でも韓国映画(僕がこのところ観た範囲の)はそういうの感じない。真面目だし不器用なんだよね。そういう意味でやたら見かける「ソン・ガンホ」ていう俳優は象徴的かもな。こんだけ色々主役級で出まくってる位で人気あるのだろうけどぜんぜん美男じゃないし、演技において特筆すべき何かがあるとも思えない。それなのになんかいると安心する、っていう。なんかちょっと笑っちゃったり、「大丈夫」って感じがするっていう。

「父と娘」っていえば「冬の小鳥」でも大きなテーマだったけど他の韓国映画でも直接的な「父娘」じゃなくても「アジョシ」のウォンビンと彼が救い出す女の子っていうのもある種「父娘」的な関係だったし、「グエムル」でもモロにそうだったり「母なる証明」「シークレットサンシャイン」の「母息子」軸と対照的でもあるんだけど。

韓国はまあ父権的だったりするのかな?徴兵制があったり、軍事政権時代の記憶がまだ新しかったりというのもあるのか。日本映画(だけでなく日本のアート全般)て「国家」とか「権力」っていうのが「SP」とか「検事」とかの職業的な道具立てとして出てくるだけっていうかさ。「天下国家とかダサいじゃん?もっとソフィスティケ―テッドかつしゃれおつに」みたいなカルチャーが大勢だったわけでその結果の311以降の事態なのだろうけど。韓国映画はそういう「権力」みたいなものがプロパガンダ的な意味だけではなくって主人公の行動なり、物語の遠景としてなりの「語られないもの」としておぼろげに見えてくるっていうのがある。「村社会」的な物とか。「グエムル」とかだと「在韓米軍」とか。そういう「なまの現実」として。

是枝監督がCocco撮ったドキュメンタリー「だいじょうぶであるように」では彼女はまあ沖縄の人だしジュゴンの事歌ったりもしてるので辺野古の基地問題とかツアー中に六ヶ所村に行ったり、っていうシーンがあったりするのだけど、まあゴメンあんまり日本のドキュメンタリー映画の事は知らないから、まあドキュメンタリーにおいてはそういう政治的な事はバシバシ扱っているのだろう、それは東日本大震災以降の情勢にあってさらにその傾向に拍車はかかるのであろうけども。

僕自身と言えば「反原発」フィーバーから少し冷めた最近であったり、こういう状況下にあって、それでも一生活者として地面に足をつけて日々を送る必要っていうのはあるわけで、そんなの放射能の恐怖とか影響の不安は考え出せばあるけどさ、それだけで自分の生活を不安オンリーな物にはしたくないわけでさ。ツイッターとかで散見する反原発言説には「不安がれ、そりゃ不安煽るわけじゃないけど、放射能なんてめっちゃくちゃ危ないんだから、こう現実見ろ。現実見るってことは不安で当たり前ってことだ。それがリアルだ」まあいいんだけどさ、まあこういうのも一辺倒だとさ、芸がないなあ、と思うわけだよ。俺は不真面目なんだから。

俺はそういう反発もあって今韓国映画づいてるのかも知れないです。あ「冬の小鳥」全然関係ないじゃん。いや「冬の小鳥」いい映画ですよ。「小品」とか「秀作」とかそういう言葉がハマるいい映画。派手な展開や大上段な人生論とかは全然ないけどいろんな物事をそれぞれのシーンや人間たち(主に子供)の演技で物語るっていう「言うは易く」を自でいく難事業に成功している作品。いや映画ってもともとそういう物だったっけね、っていう事を教えられました。




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