2010年5月19日水曜日

現代において出家とは

お釈迦さまはネパールの王家に産まれたわけだけど、この世の中が苦悩に満ち溢れているのは何故なのか?という疑問に取りつかれて家を飛び出した訳です。詳しくは手塚治虫の「ブッダ」か「聖☆おにいさん」でも読んで下さい。

出家というのはそのブッダの故事に自らをなぞらえて剃髪して僧衣を着るというのも今まで身を置いていた世間の価値観から離れて生きるという決意のあらわれなんだろうと思う訳です。

けっしてお坊さんのカッコしたからって出家したとは言えないと思うのですよ。家から出てもさ、さらに権威主義的でガチガチなヒエラルキーに基づいた宗派に属したら、「出家」とは言えんのではないか?と。一概にはもちろん言えませんがね。

僧侶にケンカを売りたいわけではもちろんなくて、では何を言いたいかというと、現代で出家に近いのは、既成の価値観にとらわれないで生きる、っていう選択をした人々ではないか?と。

アーティストとかさ、バッグパッカーとかそういう人たち。現代においてのお寺はコミュニティにおいていろんな活動とか価値観を持った人たちを繋ぎあわせる役目を担うカフェとか、業態はともかく、そういうサロン的な場が「お寺」の役割を果たすのではないかな?と思うのですけど。

んで現代においての経文というか琵琶法師語りはこれ。向井秀徳「自問自答」これすごいです。かっこいいです。

2010年5月9日日曜日

アウトプット

特別に人よりひいでた技術を持ってるわけでなし、とくに自慢できる何かを持ってるわけでなし、とくにルックスが人目を惹くわけでなし、東京は好きだけど、都会には憧れるけど、雑踏に紛れ込んだら多分埋没してそのまま沈み込んでいってしまいそう。

卑下してるわけでなく僕は僕の生をキチッと楽しんで生きているし、春はどうやら過ぎ去ったようでこれから梅雨に向かう初夏の陽射しと風、庭に咲く花や僕の町を囲む山々の緑、家族達の成長や笑顔、そういったものをギフトとして享受しながら日々を暮らしている。

世界は、僕の住む国は騒がしいけど(騒がしくないことなんてあったのか?)、そんな色んなことをちゃんと自分の中で捉えていきつつ、足はちゃんと地面に付けて、スピリットの声を聴くことを忘れず、心穏やかに、時にオカシなことを考えつつ生きて行きます。幸せです。