2011年1月9日日曜日

I'm losing you.

Johnの歌のタイトル。たしかJohnがどっかの旅行先からオノ・ヨーコに電話したんだけど、回線の不具合でろくすっぽ話が出来なかった。その時のもどかしさ、心細さを曲にした、というようないきさつだった筈。

今や携帯にメールにスカイプにツイッターにいろんなチャンネルで人と人とのコミュニケーションが成り立つわけですが、携帯に圏外があって、スカイプにログインの不具合があって、ツイッターにバグがある。不完全な人間が作ったシステムだけにどれをとっても見事に不完全なのです。

光回線を通ろうが、人工衛星を経由しようが、やりとりするのは人間の言葉、人間の声、人間の表情、そのいずれもが、いずれかを補完しあって、あるいは言外の意味を伝え、あるいは打ち消して。コミュニケーションのツールは進化し、即時性や、解像度は上がる一方なのですが、それはもう一方から見ると出会い、別れのドラマの進行を早め、人間が無意識に吐いている嘘でさえ、他者の眼に露わにしているのかも知れません。

自分の抱える感情、過去の蓄積、好意、嫌悪、共感、テレパシーに秀でてない僕らはそれをなんとか相手に届けようと言葉を中心にコミュニケーションを組み立てて来ました。でも言葉なんて実際側にいる、その存在感、実際視線を送っているその眼の輝き、実際触れられるその表皮感覚、そういったものに比べれば何分の一かでしかないのです。

言葉は心の代替物に過ぎず、同性同士での肉体的接触は社会的なタブーに触れ、異性同士での肉体的接触は欲情に押し流され、僕らはいつもコミュニケーションの渇きにあります。コミュニケーションの不可能性がゆえにさらに虜となっていくようです。