お釈迦さまはネパールの王家に産まれたわけだけど、この世の中が苦悩に満ち溢れているのは何故なのか?という疑問に取りつかれて家を飛び出した訳です。詳しくは手塚治虫の「ブッダ」か「聖☆おにいさん」でも読んで下さい。
出家というのはそのブッダの故事に自らをなぞらえて剃髪して僧衣を着るというのも今まで身を置いていた世間の価値観から離れて生きるという決意のあらわれなんだろうと思う訳です。
けっしてお坊さんのカッコしたからって出家したとは言えないと思うのですよ。家から出てもさ、さらに権威主義的でガチガチなヒエラルキーに基づいた宗派に属したら、「出家」とは言えんのではないか?と。一概にはもちろん言えませんがね。
僧侶にケンカを売りたいわけではもちろんなくて、では何を言いたいかというと、現代で出家に近いのは、既成の価値観にとらわれないで生きる、っていう選択をした人々ではないか?と。
アーティストとかさ、バッグパッカーとかそういう人たち。現代においてのお寺はコミュニティにおいていろんな活動とか価値観を持った人たちを繋ぎあわせる役目を担うカフェとか、業態はともかく、そういうサロン的な場が「お寺」の役割を果たすのではないかな?と思うのですけど。
んで現代においての経文というか琵琶法師語りはこれ。向井秀徳「自問自答」これすごいです。かっこいいです。


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