子供の時によくある夢想に「実は自分は拾われた子でどこかにもっと優しくて美しい両親がいる」というのがある。
かくいう僕もそんなことを思っていた時期がある。「僕のように優しくて美しい少年があんな酔っぱらいのオヤジの血を引いてるわけがない。ほんとの子供だったらママももっと優しくしてくれるはずだ。」とか。
今となっては自分はやっぱり父親に似ているし、母親も精いっぱい自分を大事にしていてくれたのは分かるのだが。しかし。
子供のそんな夢想を笑えるか?笑えないなあ、って思う。
子供の夢想が自分がなんとか世の中で折り合っていくためにつくり出したファンタジーなのであれば、僕だって未だにファンタジーをつくり出してこの世の中を生きている、のだと思う。
「一寸先は闇」っていうのは本当のことだ。昨日も生きて、今も生きているが、明日生きているかどうか?なんて定かではない。
生きている、と、生きていない、の二者択一ならば50:50なのだから、明日も生きている確率は50%なのかも知れない。(これは数字のトリックなのかも知れないが)
なんとなあく、「頑張れば報われる」とか「俺にはイヤなことは起こらない」とか「痩せたらモテる」とか思っているが、「頑張っても報われない」ケースなんていっぱいあるだろうし、俺に「イヤなこと」が起こる可能性だって山ほどあるだろうし、痩せたってモテやしないだろう。
なんか宗教を信じている人を「そういう人」たち扱いすることがあるが、そういうのもどうかと思う。ある宗教の体系があって、その宗教内ではみんなで共通に「こうなのだ」という認識をしている事柄があって、っていうことで考えるとそれは「宗教」という物語を生きているだけであってさ、我々が基づいている色んな「物語」と筋立ては違うが、「物語」を信じているという点においてはおんなじなのだ。
「日本人」といえば僕らは「日本人」という人種はいると疑わないし、「日本人」の国民性みたいなものも日本人がよって立つ「常識」みたいなものもあるんだろう、と信じているのだが、そんな「日本人」だってさDNAレベルでいったら「モンゴル人」と大して変わらない(類人猿とだって90何%はかわらないのだ)んだから。
「日本人はこうあるべき」なんてその前提から崩れてしまう。
こんなことは他でだってよくあって、医学とかも内臓や体の中でどのように物質が働いて、どのように作用するか?とか西洋医学の範疇ではかなりくわしく解析しているのだろうが、その物質がどこでどのようにして作られているか?とかの随分基本的なことが分かっていなかったりしてびっくりすることがある。
マイナーコードの和音を聴くとなんで心が悲しくなるか?とかもまだきっと分かっていないはずだ。
これらのものはこれらの動きをするので、それをこのように利用するとこのように人間の役に立つ、とかは分かっていてもそれらのものがなぜそれらの動きをするのか?とかは分かっちゃいないのだ。
まあ宇宙の成り立ちからして、なんで宇宙なんてものがあって地球なんてものがあって人間なんてものがいるのかさっぱり分かんねえからな。
ブラックボックスがあって、そっから色んなものが出てはくるが、ブラックボックスはずっとブラックボックスのまんまだ。
だからそのブラックボックスに「神」とか「素粒子」とかあてはめてはみるのだが。人間の考えつくことなんて結局ドングリの背比べで、どれが正しい?なんてあんまり意味なくて。その時々で好きなものを、そのタイミングで価値があるものを、そのときの自分をhappyにしてくれる物語を自分の意志で選べば良いのだろう。
忘れてはいけないのは自分の選択と同時に誰かの選択も尊重すること。それはおかしい!こっちが正しい!なんてやってるから自分の信じてるものを貶めてまで戦争や争いごとになるのだろうから。
2010年1月30日土曜日
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